「伊那(いな)」、という地名の由来について考えてみた。飯豊(いいで)や飯縄(いいづな)という地名(山岳名)は、夜空の星々に由来することは理解ができていたのだが、「保科正之」によって新たに、「高遠」ではなく「伊那」の由来を求めることになろうとは思いもよらぬことだった。
昨年の十一月号で触れていたが、
「秦氏(はたうじ)」の源流である古代朝鮮の辛国(からくに)からの渡来人が、伊那谷の地に大勢移住してきていて、伊那出身の歴史家大和岩雄(おおわいわお)の指摘にもあるように、大和(やまと)国の国づくりには多大な貢献をなしていた(「秦氏の研究」、「続・秦氏の研究」)。彼らは、国づくりの基幹ともいうべき主要な産業を担う優れた技術者の集団とも言えた。
その人々が、いささか牽強付会めくものの、京の伏見の「イ・ナリ神」を奉斎する秦氏(伊呂具(いろぐ)を祖とする)と同じく「イ・ナリ神」を祀っていたとしても決して驚くほどのことではないのかもしれない。
しかし、古き朝鮮語にも、この「イ・ナリ」にあたる言葉はないと思われる。現代のハングルでは、「いな」は、「❘(아)니」 という表記になり、意味としては「この私」となる。ただこの表記法は、15世紀の李氏朝鮮国王の世宗(セジョン)の制定によるとあるから、一千年以上も前の朝鮮語にハングルを当てることは正確さを欠くし、三国時代(新羅、高句麗、百済313~676年)において、民族的に崇敬されていた神があったとしても、その時代のことを記した歴史書(三国史記・1145年)にはそれは記されていない。
つまり「イナリ」も「イナ」も、大和言葉以外の何ものでもないということになる。
やはり、「飯豊(いいで)」や「飯縄(いいづな)」 にある「飯(いい)」に近似の意味を持つ言葉のように思われる。もちろん漢字表記の「稲荷(いなり)」の「稲(いね)」や「飯(めし)」を意味してはいない。
「伊那(いな)」に近い「飯名(いいな)」という名称のあることをご存知だろうか。歌垣(うたがき)の山、「筑波山」の古い呼称だと言ったらきっと驚かれることだろう。とても意味深い言葉なのだが、さらにこの単一母音「い」には、「北」の意味が含まれているとなれば、一体どのような反応が返ってくるだろうか。まさに「イ・ナリ」 の 「イ」 ということになるのだが。
言語の発生というDNAレベルの研究で、7~6万年前(出アフリカ)に現生人類が言葉を獲得したのは、「肺の気道の出口である喉頭が食道の途中にまで降下して、母音の発声が可能になった」からという生体学的見解に
基づけばまさに、『い』は「縄文語」、あるいはそれ以前からの言語と言っても過言ではない領域の言葉になるだろう。しかもその中でも極めて特異な位置を占める言葉である。それは、星空を見続けてきた人でなければ理解不能な言葉だからでもある。 星空の「一等三角原点」とでも言いたくなるような、見事に現代にまで意味を失わずに続いてきた言葉なのだ。「ホシナ(星名・保科)」は、まさに「イ・ナ(伊那)」の後代呼称である。
東洋文化財研究所 松本日世