「飯豊山と飯縄山がどうして夜空の星々に由来するのか?」という質問が伊那研究室 (宮原室長)に寄せられていた。その説明をしておきたい。
飯豊山 (山頂部)の緯度経度は、北緯37度51分17秒、東経139度4分26秒であり、飯縄山のそれは北緯35度44分22秒、東経138度16分11秒である。また筑波山(飯名)のそれは、北緯35度13分31秒、東経140度16分24秒となる。それぞれの間隔を、国土地理院の提供する「距離と方位角の計算」方式で求めると飯豊―飯縄間は
186、510メートル、飯縄―筑波(飯名)間は185、782メートル、 筑波 (飯名) ―飯豊間は184、326メートルとなる。この3点間の平均距離は、185、539メートルだが、海里が1、852メートルだから、ほぼ100海里の正三角形を導き出す。厳密には飯豊筑波 (飯名) ラインは飯豊・飯縄ラインより2キロメートルばかり短くなった形だ。新聞紙大の紙上に大きな三角形を描いてみない限り100分の2の差を描き出
すことは困難だが、これを夜空に描き出すことはできる。ただし、夏の夜空に限ってのことなのだが。夏の大三角形と言われている、織
姫星(ベガーこと座α星)、デネブ(白鳥座α星)、彦星(アルタイルーわし座α星)の1等星の三つの星で描かれる「夏の三角形」のことではない。 おそらくは、我が国独特の夏の大正三角形と呼ぶべきもので、北極星ー彦星 (アルタイル・アラビア語)麦星 (アルクトゥルス・ギリシャ語)の星々を結んでみよう、 正確な正三角形が浮かび上がる(東京で見る夏の星空・国立天文台提供 三角図形は筆者)、しっかりと右上がりのラインを映し出す形で。
これら三山のそれぞれに「飯」という言葉が冠されていることを考えれば、三山が結び合っていることを十二分にわきまえている上
での命名の仕方としか言いようがない。もちろん、夜空の星々の位置の認識が陸の山岳のそれよ先行していることは言うまでもない。夜空の地上への投影と言えるだろう。
かぐや姫星ではないのだが、「筑波」(茨城)と「筑紫」(福岡)の意味を探していたときに分かったことなのだ。「つく・は」と「つくし」と捉えてみると、東にのぼる「月」と西に降りてくる「月」の運行を表している言葉ということが理解できる。それを地名に置き換えている。「は」と「し」は対語で、「箸墓(はしはか)」の「はし」も同じ。 「千曲川」 の 「千曲」を考えてみれば、それは「筑摩」
(長野) でもあることとなり、もとは「つく・ま」であったのではという推量が成り立つ。まさに月が中空に浮かんで輝きを増した様子を映す河川なのだ。「は」と「し」の間に「ま」があることになる。「飯(いい)」も「筑(つく)」もどちらも「縄文語」と言ってみたいところではある。無論、「は」も「し」も「ま」も、一音節語で意味を持つ縄文語、あるいは古代天文語なのかも知れない。
東洋文化財研究所 松本 日世