慶徳稲荷神社について
当神社が創建されたのは、寛治五年(西暦一〇九一年)。
当時の御台鎮守府将軍、源義家は清原武衡・清原家衡の征伐のため、当地を訪れ、京都伏見稲荷山に祀られし稲荷神社を当地に勧請し、神領を寄進。
当神社の別当となったのは、現宮司の始祖である鈴木蔵人元行でした。
鈴木は熊野三山の修験者であり、当神社の創建において、非常に重要な役割を果たしたと伝えられています。
近年は、保科正之公(会津藩主)のとても重要な御秘所(祈願所)であったことが明らかになってきています。